地名の由来

2013年3月25日

韮崎(にらさき)の由来

 

  韮崎という地名については『甲斐国志』(1814年)によれば、片山と七里岩との間にはさまれた台地の南部、穴山の辺から南端の観音山まで、にらの葉のように長く細く連綿と突き出た部分に名づけられたとされている。

 さらに古くは織田信長が天正10(1582)年2月、河尻与兵衛に与えた文書に「新府にらが崎云々」とあるのからみて、よほど古くから用いられていたことがわかる。「新府城」は正しくは新府中の韮が崎城で、府中とは国司の役所の所在地という意味であるから、短期間ではあるが甲州統合の府となった所である。その範囲も後の韮崎町よりもずっと広い部分の総称であって、後に「にらがさき」が「にらさぎ」となり、慶長6(1601)年大久保長安の文書に「にらさき」とある。寛文元(1661)年河原部村の中に韮崎宿が開かれたのである。 この古い、広範囲な由緒ある地名が新しい市の名称となっていることは、まことに意義深いことである。

 この地名の一つの考え方として『韮崎町制60年誌』昭和28年には、七里岩の突端の台上には韮が多数野生して密生しているので、あるいは“韮の生えている御崎”からヒントを得て命名したものではあるまいか、とも考えられるとしてある。  【韮崎市誌下巻P645より】

 

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