市の生い立ち

2013年3月25日

 

韮崎市の歴史を遡る

 韮崎市のあるこの地には、4,000~5,000年前頃から文化を持った先住民族が住んでいたと考えられています。

 これは、穂坂町三ツ沢遺跡、藤井町坂井遺跡から縄文式・弥生式土器が多数発掘されているためです。

坂井遺跡より出土した土器

 11世紀頃、源氏の一族である新羅三郎義光が甲斐の守護となり、 その次男である信義が武田の姓を名乗ったことから、武田の名は始まります。 鎌倉・室町期を通じて武田氏が甲斐守護職として実権を握っていました。

  しかし名君武田信玄公没後は、その子勝頼が長篠の戦いに敗れるなどして、 天目山下田野の地で自刃、武田の歴史は終わりました。


 その後徳川幕府の直轄の地となり、 静岡より川船が通じるようになってからは産業が発達し、 寛政6年までの約40年間巨摩郡の政治・経済の中心地でありました。 
 廃藩置県、郡界の制定、町村制の施行などにより名称は幾度も変更されてきましたが、 昭和29年10月10日町村合併して韮崎市となりました。
 当時、人口32,264人、戸数6,031戸から韮崎市は始まったのです。 

 

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