木曽氏の墓

更新日:2020年04月17日

砂利の上に立てられており、木曽氏の墓の横にもいくつかの石碑や案内板が立っている木曽氏の墓の写真

木曽氏の墓

 木曽福島城主、木曽 義昌の嫡男千太郎は、武田 勝頼に人質として韮崎の地におかれていました。
 天正9年(1581)に義昌は、織田方に寝返り、その裏切りを知った勝頼は、乳母と妹とともに千太郎を、新府城南側の踊原で処刑しました。
 後年、千太郎を預かっていた上野豊後守の後裔らは、戦国の世に消えた三人を哀れみ、光明寺に菩提を弔いました。

 藤井町駒井上野の集落の人々によって供養が行なわれています。

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木曽氏の墓

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