武田勝頼夫人北条氏祈願文

武田勝頼夫人北条氏祈願文
武田勝頼夫人が天正10年2月に武田八幡宮へ、武田氏の武運等を祈願して奉納した切なる思いを書き綴った手紙です。
夫人は北条氏政の妹で、願文の書いたときは19歳でした。その頃武田氏は、木曽義昌らの謀叛にあうなど、織田氏の侵攻によって、危機をむかえていました。
願文奉納も効することなく、奉納から14日後の3月3日に勝頼は自らの手によって新府城に火をかけて、郡内の小山田氏をたより向かいますが、その途中の田野(甲州市)で夫人、息子信勝とともに自刃しました。
うやまつて申 きくわんの事
南無きキやうちやうらい、八まん大ほさつ、此国のほん志ゆとして、竹たの大郎とかうせしより此かた、代々まほり給ふ、ここにふりよのけき新出きたつて、国かをなやます、よつてかつ頼うんを天とうにまかせ、命をかろんして、てきちんにむかふ、志かりといへとも志そつりをさえるあいた、そのこころまちまちたり、なんそきそよし政そくはくの神りよをむなしくし、あわれ身のふほをすててきへいをおこす、これミつからははをかいする也、なかんつくかつ頼るいたい十おんのともから、けき新と心をひとつにして、たちまちにくつかへさんとする、はんミんのなうらん佛はうのさまたけならすや、そもそもかつよりいかてかあく新なからんや、思ひのほにを天にあかり、志んいなをふかからん、我もここにしてあひともにかなしむ。涙又らんかんたり、志んりょ天めいまことあらは、五きやく十きやくたるたくひ、志よ天かりそめにもかこあらし。此時にいたつて神かんわたくしなく、かつかうきもにめいす、かなしきかな志ん里よまことあらは、うんめい此ときにいたるとも、ねかわくはれいしんちからあわせて、かつ事をかつ頼一しんにつけしめたまい、あたをよもに志りそけん、ひやうらんかへむてめいをひらき、志ゆめう志やうおん志そんはんしやうの事、
ミきの大くわん、ちやうしゆならは、かつ頼我ともに、志やたんミかきたて、くわいろうこん里うの事、うやまつて申
天正十祢ん二月十九日 ミなもとのかつ頼うち
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更新日:2020年03月31日